東北地方太平洋沖地震について 9 (社協職員派遣の報告3)

NO IMAGE

先に派遣された村松と交代で328日~43日の間、同じく岩手県宮古市へ行ってきました。今回の静岡県チームは9名で、前クールと同様、宮古市社協と山田町社協の支援をおこないました。 

宮古市のライフライン復旧状況などは、前回報告にある状況とさほど変わりはありませんでしたが、私が滞在している間に燃料供給面がかなり回復しました。現地入りした当初は、市内で稼動しているスタンドのほとんどに「緊急車両のみ」の看板が立てられていましたが、その後その規制も解除され、上限はあるものの一般車両も給油できるところが増えていました。 

     生活福祉資金特例貸付 

現地入りした328日から始まった特例貸付ですが、初日の受け付け件数が70件となった後、予想に反して翌日からは一気に減少し、一日の平均は30件、特に避難所へ出向いて設置する窓口では一日に数件という状況でした。滞在中、まだ仮設住宅の建設も一部で始まったばかりでしたので、家も無くなりこの先の生活のことも全く見通しがつかない被災者の方々からすれば、まだニーズとしては少なかったのでしょうか。今後仮設住宅への入居が進むにつれて、そのニーズは増えていくのではないかと思いました。

   

避難所に設置された受付窓口

 

 

 

     山田町社協支援

山田町の被災状況はかなり深刻で、町役場や社協事務所のある敷地のすぐ目の前まで津波が押し寄せていました。また、大規模な火災が発生したため、役場の目の前は一面空爆でも受けたかのような、言葉も出ないくらい悲惨な状況でした。町役場職員の1/3が死亡もしくは行方不明。山田町社協の職員もご家族が行方不明であったり避難所で生活されていたりといった状態。さらに通信手段も断たれていたため、機能はほぼ停止状態で、支援要請の声を上げることすらできず取り残されている状態でした。

山田町の被害状況1

 

山田町の被害状況2

  

 

絶えず訪問してくるボランティア団体やNPO等の対応や外部からの問い合わせなど全てが、一人しかいない実務担当職員に集中していました。そのため、それらを一括で受ける窓口となる災害ボランティアセンターを一刻も早く設置することで、担当職員からその負担を切り離すことが急務でした。山田町災害対策本部より災害ボランティアセンター設置の依頼を受けたNPOや災害ボランティア活動支援プロジェクトの方々を交えて協議を重ね、48日に「B&G海洋センター体育館」に開設することになりました。我々のクールではその道筋を立てるところまででバトンタッチとなってしまったことが、非常に心残りでした。

山田町災害ボランティアセンターが設置される「B&G海洋センター」

 

 

    B&G海洋センターの目の前にある老人保健施設

 

 

私が現地入りしたのが地震発生から20日ほど経った頃で、市内では営業を再開する店舗も増え始め、外見的には日常生活が少しずつ戻りつつあるように見えました。しかし、震災後初めて偶然再会し、お互いの無事を涙しながら喜びあうという場面を実際に何度も見ました。未だ捜索すら手付かずの場所もたくさんありました。

 

最後に、職員派遣報告1にもありますが被災地はまだまだ十分な体力が戻っているとは言えません。ボランティア活動を希望される方は、現地災害ボランティアセンターから発信される情報等をしっかり確認し、飛び込みでいきなり現地に入るようなことは控えていただきたいと思います。

 

駿河区地域福祉推進センター 林 大輔